タイトル「いま*ここ」の意味

虹とハート私のカウンセラーとしてのHPは、これまで2回タイトルを変えました。
最初のうちは英語のタイトルをつけていましたが、自分でしっくりこなかったんです。
今年、なぜかHPが消えるという事件があって、改めて作り直したことを期に今までしっくりきてなかったタイトルを『いま*ここ』に替えました。
変に英語とか使うより、こちらの方が分かりやすくていいなと思って、自己満足ながら気に入ってます。

『いま*ここ』は、深く考えなくても分かると思います。
意味はそのまま「今ここ」です(笑)

私が専門としている心理療法は、今ここで感じること、過去と向き合う場合は、その当時の場面に身を置いて今ここの感覚として当時の気持ちを感じてもらうこと、を大切にしているから。

もう一つは、過去でも未来でもなく、二度とやって来ない今という時を大切に生きていけば、老いて最後の時を迎えた時にも後悔することなく安らかに逝けるのではないかという思いからです。
今の自分は過去の自分が様々な選択をし行動してきた結果であり、今ここで何を感じ、何を考え、どう行動したのか、その結果が未来を作っていくからです。
そう、運命は自分で変えていけるのです。生まれる国や誰の元に生まれるか、生まれた時の環境は自分ではどうにもならないものですが、そこからどう生きて行くか、自分の人生をどうするかは自分で決めて変えていけるのです。
これは幻想でもきれいごとでもなく事実です。
きれいごとにしか思えないとしたら、自分の人生を素晴らしいものに変えることを諦めてしまっているのかもしれませんね。
今の自分の行動が未来の自分を作っていくと考えれば、自分に人生に対して見方が変わるのではないでしょうか?

一つの例として、ユゴーの「レ・ミゼラブル(あゝ、無情)」という小説に出てくるジャン・バルジャンの話をしましょう。
ジャン・バルジャンは、飢えに苦しむ幼い甥のためにパンを一つ盗んで牢獄に入れられ、牢獄でのひどい扱いに苦しみ何度か脱獄をしようとした結果17年も罪人として牢獄暮らしをすることになってしまいます。17年目に仮釈放となるのですが、自由になれたと思っても世間の目は冷たく、罪人としてひどい扱いを受けて心は荒み、自暴自棄になっていた時に手を差し伸べてくれたのが清貧な暮らしをしていた司教さんでした。
人間不信に陥っていたバルジャンは司教さんが招き入れてくれた教会の銀食器を盗んで逃げ出すのですが、司教さんはバルジャンをつかまえた警官に向かって「それは私がさし上げたものです」と言い、さらに「これも持っていきなさい」と司教さん自身が大切にしていた銀の燭台をもバルジャンに差し出します。
そのことにバルジャンは涙し、心を入れ替え司教さんの恩に報いるため、苦しむ人々を救うための人生を送ることになります。バルジャンは死ぬ間際まで司教さんからもらった銀食器や燭台やその時に来ていた服を自分への戒めとして自分の手元に置いています。
その結果、何度も危険な目に合いながらもコゼットという宝を得て、最後はバルジャンにとって宝であったコゼットとその夫マリウスに見守られて穏やかに安らかに天国へ召されます。
司教さんと出会ったことで人を信じることを学んで精神的に大きく成長し、安らかな最期を迎えることができたジャン・バルジャンと対照的なのが、バルジャンを罪人として追い続ける警官のジャベールです。
罪人の子として牢獄の中で生まれたジャベールも人を信じることができず、世の中で唯一信じられるものは法律だと思い込んで警官になり、最後までその思い込みを捨てることができず、精神的に大きく成長したバルジャンを前にした時にジャベールはその信念が揺らぎ始めて混乱し、自分が信じてきたことが崩れ去ることへの恐怖から逃れるために自殺してしまいます。ジャベールは人は変わらないと思い込んでいたから、自分を変えることも出来なかったんですね。
人は変われるということを身を持って体験して大きく成長し、厳しい現実の中でも『今ここ』を必死に生きて自分で人生を切り開き、最後は安らぎを得ることができたジャン・バルジャンと、人も自分も変わらないと信じ込んで与えられた任務だけをこなし、悲劇的な最後を迎えるジャベール。
あなたはどちらの人生がいいですか?