「愛される価値がない」という感覚

先日、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの生涯を題材にし、大竹しのぶさんがピアフを演じている『ピアフ』というお芝居を観てきました。
壮絶な人生を歩んだピアフを演じる大竹さんの素晴らしい演技に圧倒されました。
さて、そのエディット・ピアフと「愛される価値がない」感覚と何が関係あるのかと思われるかもしれませんが、これが大ありなんですよ。

ピアフは幼少期に母親に捨てられ、父方の祖母に預けられるも祖母に嫌われて虐待され、親戚の家を転々としたのち、最終的に売春宿を営む叔母の元で暮らすことになります。
要するに親の愛情を受けることができず、貧しさから学校にも行かせてもらえず、劣悪な環境で育ったわけです。
ピアフは親から愛情をもらえなかったために無意識に「自分は愛される価値がない人間だ」と思い込んでしまったと思われ、ピアフの人生を読み解いていくと典型的な愛着障害であったことは明らかです。

ピアフの話に戻りますと、ピアフは愛情というものを知らずに育ったのですが、やはり本能的に求めるのは温かく受け入れてくれる安心感を得られる存在。
でも、本物の愛を知らないピアフは、どうしたら自分が求める暖かい安心感を得られるのかが分からなかったんだと思います。
安心感を得ることは難しいけど、手っ取り早く人肌の暖かさを感じられるのがセックスであり、生涯に渡って「私は男がいないとダメなの」と言っていたことを考えると彼女もセックス依存症だったと考えられます。
さらに彼女は幼少期を伯母の売春宿で過ごしていたので、おそらく売春にあまり抵抗感もなく、むしろ彼女は男というものは何かの見返りにセックスを求めるものだと思い込んでいたかもしれません。
貧困の中で青春時代を過ごしていたピアフは、おそらく歌手として大成するまでの間、売春婦のようなこともしていた可能性はかなり高いですね。
お芝居の中でのピアフもそのように描かれていました。

ネグレストや虐待などにより親の愛情を受けられずに育ち愛着障害を抱える人が孤独感から逃れ、一時的でも人の暖かさを得るためにセックス依存に陥っていくことも多いです。
だからといって、セックス依存の人がセックスが好きなわけではなく、むしろ本当はセックスが嫌いで「止めたいけどやめられない、こんな自分は汚れている」と思い悩む人の方が多いようです。
セックス依存の人が本当に求めているのは性的なことではなく、親のように温かく包み込み安心感を与えてくれる存在なのです。

「自分は愛される価値がない」という思い込みがあると、他にも様々な弊害が出てきます。
他人との距離感が分からず気に入った相手に対してストーカーのようになってしまったり、常に誰かが傍にいないと不安だったり。
また、本当の愛情を求めていながら、現実にそれが手に入りそうになったら怖くなって本当の愛情をくれる相手を拒否してしまったり。

人の心には自分の思い込みを証明して「ほら、やっぱり思ってる通りになった」と確信し強化していこうとする習性があります。
そして厄介なことに「ほら、やっぱり」とならない方がいい思い込みに対しても無意識にそれをやってしまうのですよ。

今回の「愛される価値がない」という思い込みの場合、それを強化するために、無意識に自分を愛してくれないような相手を選んで裏切られたり、自ら相手に嫌われるようなことをしたりすることで「ほら、やっぱり私は愛される価値がない人間なんだ」と証明して思い込みを強くして行ってしまいます。
愛されないことを証明するためには愛されてはいけないので、自分で愛されないように仕向けてしまっているのですが、本人は無意識なので、なぜそういう結果になるか気づいていないことが多いです。

ピアフもご多分に漏れず、自分は愛される価値がないという思い込みを証明するための行動をとっています。
セックス依存もその行動の一つなのですが、さらにピアフ自身が何人もいた恋人の中で最愛の人としていたマルセル・セルダンというボクサーは、子どももいる既婚者だったんです。
この時点でピアフからすると自分の物にしづらい存在なので「自分は愛されない」を証明するためにピッタリの存在です。
でもマルセルは、ピアフに見返りを求めることなく純粋に愛してくれた。これでは「愛されない」ことを証明できないわけです。
ある時、彼女は一人でいることに耐えられず、ボクシングの遠征に出かけた彼に早く飛行機で帰ってきてほしいと懇願。その結果、マルセルを飛行機事故で失うことになりました。
マルセルが事故に合うことなく生きていたら、ピアフは愛着障害ゆえにマルセルにずっと傍にいることを強要するようになり、いずれはマルセルとの関係も崩れたでしょう。
でもマルセルは亡くなり、それまでのピアフの人生で初めて「自分は愛されない」を証明することができなかったため、ピアフの中でマルセルは「最愛の恋人」となったんじゃないかと思います。
その後、ピアフはマルセルを死なせてしまった罪悪感と寂しさから逃れるために酒浸りになっていくのですが、その間もさまざまな男性たちと付き合っては分かれてを繰り返していたようです。

ここで「自分は愛される価値がない」という思い込みの弊害がもう一つ出てきます。
それは同時に「自分は生きる価値がない」という思い込みも持っていることが多いということです。「生きる価値がない」という思い込みについては以前書きましたね。
親から愛情をもらえなかったことから「自分は必要とされていない。生まれてきてはいけなかったんじゃないか」という気持ちが「生きる価値がない」という思い込みにつながる場合もあるのです。
生きる価値がないという思い込みがあると、自分自身を大事に出来ないんですね。

ピアフも自分を大事にすることをしていません。
セックス依存、アルコール依存。アルコール中毒で手の震えなどの症状が出ていたようです。
そして何度も交通事故に合って大ケガをしているのに完治しないうちに退院して歌うために舞台に立つ。
当然のことながらケガが治っていないので体の痛みは耐えがたいものとなり、痛みを止めるためのモルヒネの量をどんどん増やしてモルヒネ中毒になっていきます。
さらに眠れないからと睡眠薬も多用するようになり、最終的には薬物依存の影響から髪の毛や歯は抜け落ち40代にして見た目が老婆のようになって最終的に一人で立つことも困難になってしまいます。そして47歳という若さで亡くなります。
ピアフが体がボロボロになっても歌い続けたのは、きっと歌うことで初めて人に認めてもらうことができ、そこに生きる意味を見いだせたからかもしれません。

世界的に認められた歌手でありながら、人知れず孤独と闘い続けたピアフですが、晩年ついに最良のパートナーと出会います。
それは彼女より20歳も若いテオ・サラポ。ピアフの大ファンだったテオは、老婆のようになり立つことも難しい状態のピアフをもそのまま受け入れ結婚を申し込みます。
ピアフは一度は断るものの、テオの熱意に負けて彼女が亡くなる1年前に二人は正式に結婚。
ピアフは亡くなる直前までテオと共に歌手として活動を続けていたとか。
テオは彼女を看取った後、彼女が残した莫大な借金を引継いで自力で完済したそうです。
ピアフは最後の最後に最高のパートナーに出会ったわけですが、彼女はそのことに気づいていたのでしょうか。素直にテオの愛を受け入れることができていたなら、晩年はピアフも幸せだったと思いますが・・・それは本人のみぞ知るですね。

さて、愛着障害と「自分は愛される価値がない」という思い込みについてエディット・ピアフの生涯に絡めて書いてきましたが、この悪循環から抜け出すためには、自分は愛される価値がある人間であることを受け入れることが重要になってきます。
とは言っても、ご本人だけでは無意識に思い込みを強化しようとする行動を止めることはなかなか難しいため、カウンセラーの手助けが必要だと思います。
愛された経験がない人の場合、無条件の愛を受け入れることに最初は拒否反応が出るかもしれませんね。無条件で愛してもらえるなんて信じられなくて怖いでしょうし、どうしたらいいか分からないでしょうし・・・
でも焦らず少しずつ慣れていけばいいんです。
全ての人は愛される価値があります。
運悪く愛情をくれない親の元に生まれてしまっただけで、あなたに価値がないわけではないのです。

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